薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山。
南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、創立者は天武天皇である。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
680年、天武天皇の発願により造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地に移転した。
ただし、飛鳥の薬師寺の伽藍も10世紀頃までは引き続き存続していたと見られる。
薬師寺は973年の火災と1528年の筒井順興の兵火で多くの建物を失った。
現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみである。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、
創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。
1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められ、
1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが次々と再建された。
再建にあたっては、
「鉄は持って数百年程度、木材は千年持つ。鉄を使うとその部分から腐食する。」と主張する宮大工の西岡常一と、
「台風や地震、火災からの文化財保護の観点からも鉄筋コンクリート補強が望ましい。」と主張する竹島卓一が衝突した。
結果、金堂の内陣は鉄筋コンクリートとし、西塔は鉄の使用を極力少なくし
木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建された。
なお、入母屋造だった旧金堂は現在興福寺の仮中金堂として移築され、
寄棟造に改造され前部の庇が取り払われるなど、外観を大きく変えて現存している。
Wikipediaより